沿革

当社のあゆみ

明治39年4月
現在の港区新橋(日比谷通り)に当社の前身であります山縣政尾商店が開設され、マツダランプの関東総代理店として諸官庁の御用達を務めることになりました。
昭和2年12月
東京地下鉄道株式会社(現 東京地下鉄株式会社)が日本で初めての地下鉄を上野−浅草間(2.2km)で開通致しました。地下鉄開業時からマツダランプを納入致しており、以来長きに亘りご愛顧を賜っております。
昭和21年7月
戦前、山縣政尾商店の総支配人を務めておりました庄司 喜一が復員直後、同店の業績を継承、個人経営にて庄司電機商会を設立致しました。主力の得意先は帝都高速度交通営団(現 東京地下鉄株式会社)、日本国有鉄道(現 JR)および諸官庁でした。
昭和22年7月
個人経営の庄司電機商会を、資本金18万円で庄司電機株式会社に組織変更、庄司 喜一が創業社長として就任致しました。直ちに東京芝浦電気株式会社(現 株式会社東芝)と売買契約を締結致しました。当時の販売主力商品は照明電材機器でした。
昭和27年1月
資本金を100万円に増資致しました。
昭和29年1月
帝都高速度交通営団に新たに丸ノ内線が誕生、池袋−御茶ノ水間(6.4km)が開通致しました。当社は 6駅舎(池袋駅、新大塚駅、茗荷谷駅、後楽園駅、本郷三丁目駅、御茶ノ水駅)すべての照明器具を受注致しました。(丸ノ内線の全線開通は昭和37年3月)
昭和37年9月
港区新橋の木造2階建社屋を鉄筋5階建の新社屋に立替え、「庄司電機ビル」が完成、創立15周年を祝いました。
昭和39年10月
東京オリンピックの開催を迎え、地下鉄銀座線、丸ノ内線および日比谷線の3線総合駅舎「銀座駅」へ照明器具を納入致しました。地下鉄の駅舎に灯る蛍光灯は当時6,000灯を数え、すべてが当社の契約による東京芝浦電気株式会社の照明器具です。
昭和40年5月
空調設備機器の特約代理店となり、販売主力商品に加えました。
昭和42年1月
京葉臨海工業地帯への進出を目指し、千葉市内に営業所を開設致しました。
昭和44年4月
帝都高速度交通営団千代田線の根津駅および千駄木駅へ当社の契約により、東京芝浦電気株式会社の帝都高速度交通営団向けエスカレーター第1号機、第2号機を納入致しました。同時に昇降機器の特約代理店となり、販売主力商品に加えました。
昭和48年7月
港区新橋の本社ビルが再開発地区に指定された為、現在の麻布に新社屋を建設移転致しました。同時に重電設備機器の特約代理店となり、販売主力商品に加えました。
昭和50年2月
資本金を3,000万円に増資致しました。
昭和51年4月
帝都高速度交通営団、日本国有鉄道への販路拡大を目的として、東芝芝浦電気株式会社 交通事業部と特約代理店を締結致しました。
昭和53年4月
三井生命保険株式会社(現 大樹生命保険株式会社)「柏事務センター」の建設にあたり、特高受変電機器・昇降機器・空調システム・照明器具を総合受注し、昭和54年末に納入を完了致しました。
昭和55年7月
創業者・代表取締役 庄司 喜一死去。後任に和田 良信が就任致しました。
昭和57年11月
港区南麻布1-19-10に鉄筋3階建本社第2ビルを建設致しました。
昭和58年3月
責本金を5,000万円に増資致しました。
昭和62年2月
代表取締役 和田 良信が退任し、志田 力が就任致しました。
昭和62年7月
創立40周年を迎え、記念行事を行いました。
平成5年4月
千葉営業所を千葉支店に昇格致しました。
平成9年4月
埼玉県大宮市仲町に北関東営業所を開設致しました。
平成9年7月
創立50周年を迎え、記念行事を行いました。
平成12年5月
代表取締役 志田 力が退任し、齋藤 庄吉が就任致しました。
平成15年8月
東芝テック株式会社の特約代理店となり、バーコードプリンタを販売主力商品に加えました。
平成17年4月
販売管理システムを導入し、稼働を開始致しました。
平成19年7月
創立60周年を迎え、記念行事を行いました。
平成19年12月
学校法人千葉工業大学「津田沼校舎新1号館芝園校舎」へ空調機器を納入し、取引を開始致しました。
平成23年5月
代表取締役 齋藤 庄吉が退任し、福島 雄ーが就任致しました。
平成27年5月
定款の一部を変更(株券廃止)致しました。
平成29年7月
創立70周年を迎え、記念行事を行いました。
令和2年3月
持株会制度(役員持株会・従業員持株会)を導入致しました。
令和3年3月
千葉支店を新築し移転致しました。
令和3年6月
代表取締役 福島 雄ーが退任し、小川 浩二が就任致しました。